2011年3月15日火曜日

足利市その後・・

☆11日の大地震後、足利市でも様々な変化がありました。
翌12日の早朝に電気が復旧。テレビをつけるとすべてのチャンネルが地震関係の番組でした。駆けつけた学校では目視のみですが、大きな被害は発見できませんでした。電気も水道も正常。明後日の授業にも影響はなさそうでした。

14日月曜日。子どもたちは元気に学校に登校。この日は計画停電が発表されたため水の使い方に気を配りました。勤務校は、電動ポンプで屋上にある貯水槽に水をくみ上げています。停電ともなると飲み水はおろか水洗トイレにも影響がでてしまうのです。「水対策」として水を汲んだバケツがトイレや清掃用の水として廊下に並べられました・・・しかし、結局、停電は見送られ、水はいつものように使うことができました。校外指導に出ると、ガソリンスタンド前は長蛇の車の列。紙に書かれた「売り切れ」の看板が風にゆれていました。

15日は早朝から計画停電。信号機のない道路の怖さが再び身にしみる出勤。
しかし授業は子どもたちを非日常の変化にうかれさせることなく淡々と行われました。地震の影響で給食調理場も悪戦苦闘。調理上の皆さんの努力のかいがあって、少し遅れただけで給食も無事到着!学校はいろいろな人に支えられていることを改めて実感しました。

この日、一番学校が気を遣ったのが「福島原発事故」です。栃木県のホームページでは観測された空間放射線は人体に影響がないと伝えていましたが、市の通達で子どもたちの屋外での遊びは禁止となりました。

さて、明日16日は夕方から夜にかけて停電の予定です。信号が止まらないうちに帰ろうと思いますが、明後日の卒業式の準備があるのでそれはかなわないでしょう。

2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震

☆昨日3月11日、午後にマグニチュード8の大地震が日本列島をおそいました。
私はちょうど授業を終わって職員室に帰ってきたばかりでしたが、突然の揺れに思わず天井を見上げて立ちすくんでしまいました。
いつもなら、すぐに収まる揺れでしたが5分以上横揺れが続きました。各教室で子どもたちは避難訓練で練習したように机の下にもぐり、先生方は児童の安全と避難通路を確認しました。
一度、揺れが収まり次の時間の授業が始まりましたが、ときおり感じる揺れで授業は中止となりました。
揺れがおさまっている間に児童を下校させ、先生方は子どもたちの帰宅を見届けるため車で地域を回りました。屋根瓦が落ちている家、地割れがしている校庭、点灯しない信号など、数時間前までは見ることができなかった光景が所々にあったそうです。
足利市はほぼ全域が停電となりました。点灯しない信号の下に立つ警察官による交通整理。電気が消えたコンビニの前には食料や必要物資を求める地域住人の長蛇の列。電気を失った町は暗い闇の中に飲み込まれていました。

今朝の6時過ぎに電気が復旧。
テレビには各地の被害の様子が次々と映し出されていました。このブログを書いている現在も大なり小なり揺れは続いているようです。日本中の被害はいったいどのくらいなのでしょう?
阪神淡路大震災を乗り越えた日本です。今回の天災もなんとか乗り越えることができるでしょう。しかし、かなりの時間を覚悟しなければなりません。

これから学校へ行ってもう一度被害のようすを確認してきます。昨日家路についた子どもたちや年老いた家族を気遣っていた先生はどんな朝をむかえたのでしょう。


被災に遭われた皆様へ心よりお見舞い申し上げます。